まだちゃんと向き合い始めたばかりだからというのもあり
日々変わっているのですが
以前、歌づくりをしているということを書き、
しばらく続けていたのですが、
この頃はむしろ既存の歌をいかに歌うか、
とかレパートリーをどれだけ持っているか
という方に興味があります。
まあ、もっと単純に言えば自分のつくる曲がそこまで好きではない
ということもあるのですが。
ただ、いかにカラオケがあるとは言え
ポップソングや創作的な音楽全般に言って、
「これはこの人の曲」という、歌=人という感じがある
これはあんまり好きじゃないなと思うようになってきました。
そういうわけで、クラシカルの方に今は俄然興味があります。
南インド音楽に限らず、色んなね。
クラシカルでは、作詞・作曲者は確かに偉大だけれども
曲や歌は基本的に皆のもので、いかにして歌うか・奏でるかが問題ですよね?
ポップでも、いわゆる名曲はそういうふうになっていくもののようだけれども。
あとね、前々から思っていたのですが、確かにCDはいいんだけど、
どうやったって生身には敵わないですよね。
BGMとしてではなくて歌の世界に本当に入り込みたい時、CDだとチューニングに時間もかかるし。
以前木村弓さんがキャンベラにいらした時に、本当に感動して、
それはもうびっくりしたんです。
歌でこんなこともできるんだって。
Jポップも、この頃はせっかくだからと洋楽も聴き始めたのですが、
変わらず大大好きなものの、それはカラオケで楽しむとして、
もっと古典音楽の分野を開拓していかねばなと感じています。
民俗音楽的な古典の方には特に興味が。
あとすごく興味があるのは、文脈の中の歌。
だから好きなんだろうなあ、インド映画とか、ブロードウェイとか。
今回の帰国では安ーい端の席でいいから、劇団四季や宝塚を観に行きたいなあ。というか行こう。
そういう表現を、個人レベルでしていくのはどうしたらいいかなとか
この頃よく考えています。
(プロフェッショナルな道へ進まずにやっていくにはってことですね。ようはアマチュアとして)
ケララでは、というかインド全体で言っても、ポップソング=映画音楽なのですが。
みんな知ってる歌というのがやっぱり映画音楽で、この映画のこの場面の歌なんだって説明してくれるんですよね。
そしたら、歌詞を説明してもらっても、納得できるじゃないですか。
またこの歌詞が、本当に詩的で美しいんです。
キャッツのメモリだって、物語を知っているからこそ迫ってくるものってあるんだと思うし。
来年、やりたいことはたくさんあるのですが、一つはケララ出身の人を誰か探して、私が持ってるCD(70〜80年代映画音楽)の歌の歌詞を教えてもらうことなんです。
でもそう、そこのケララでの歌の先生が、冗談で「movie song singerになっていたら今頃お金持ちだ」なんてことをよく言っていたのですが。
でもね、たとえばコンサートなどでは、客層を見て映画音楽を入れたりはするものの、
本来は表現の自由がきくクラシカルの方が好きなのだと言っていました。
映画音楽だと、たとえば有名なイェーシュダースの歌ったそのままの歌い方を、観客は求めるから。
それを聞いたその時は、そういうものか、ぐらいとしか思わなかったのですが、今はわかる気がしています。
アジアの音楽という授業をとっていて、民俗音楽で、
基本のメロディは決まっていても即興の占める割合がすごく大きいというもの
たくさんあるんですね。
それって、やっぱりそうやって人は楽しんできたんだってことだと思うんです。
こういうことを考えていく時、やっぱり日本にこだわることはないのかな、とまた思うようになってきました。
他にもね、色々な要素はあるのですが。そう思うようになってきたのは。
そのうち、精神的に越境者であることについて書いてみようと思います。
しかしね、これまでこのブログを観察していらした皆さまにはおわかりかと思いますが、私の気持ちや状態というのはころころ変わります。
今まで、それを特に悪いことだと思ったことはないのですが、
以前何年か越しの片思いの相手に「本当にすぐ変わったね」みたいなこと言われて以来ちょっと引け目を感じるようになったことも事実で、
ああ単純だなあというか、乙女だったんだな自分と感じている日々です。
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